宇藤木大野家の棟札と書籍掲載について 2023.3.15大 野敦史 宇藤木大野
家の棟札は、45年くらい前に行われた“えんだ(縁側)“、”したず
ま”の改修工事の時に、天井裏の棟木の
あたりから偶然発見されたと聞いている。そのころ見た棟札の文字の書いてある面は、木肌が白い印象だったと記憶している。日の当たらない天井
裏で、文字面を棟木に向けて置いてあったので、長年色が変わっていなかったのかもしれない。発見から40年
以上経った今では、文字面も黒ずんでいる。しかし、今も墨の文字は判読できる。 2019年(令和元年)7月1月(月)に放送されたNHKの
「鶴瓶
の家族に乾杯」は、俳優の青木崇高がゲストで、舞台は瀬戸内海の香川県塩飽諸島であった。たまたまこの放送を見ていた私は、宇藤木の棟札に
「塩飽」と書いてあったことを思い出した。すぐにスマホに撮っていた棟札の写真を見たところ、「塩飽青木浦」と書いてあった。番組の中で青木崇高さんは、塩飽諸
島の広島の青木地
区を訪ねた。青木さんは自分の苗字と同じ名前の地区を訪れたのであろう。青木地区は港のある海沿いの場所であった。この番組で見た「塩飽諸島
-広島-青木地区」が、棟札に書いてある「塩飽青木浦」と一致した。大野家の棟札に記された地名が、約150年
後に偶然見ていたテレビ番組の中で明らかにされたことに、私は大変驚いた。 この番組を
見たあと、塩飽諸
島の大工についてネットで調べてみたところ、塩飽大工の本を出している顕彰会のホームページに行きついた。その事務局に、「実家の棟札に書い
てある文字をみて塩飽大工に興味を持った、塩飽大工顕彰会が出している本を購入したい」、とメールを送った。代表の三宅邦夫
さんから、「民家
で棟札が出たのはとても珍しい、家の調査に行く」、との返信が来た。後日「塩飽大工」というタイトルの書籍も届いた。 9月7日(土)(大野
眼科休診日)、事 前に打ち合わせていた午前10時に三宅さんが大野
眼科に来た。2人で軽四に乗り換えて
宇藤木に行った。三宅さんは、たくさんの写真を撮って、柱の太さや間隔を計測し、詳しく調査してくれた。そのあとは、母といろんな話をしてく
れて盛り上がった。棟札にあった「山下與太郎」という棟梁の名前は、三宅さんが行ってきた一連の調査の中では初めて出たとの
こと。その場で広
島の青木地区の知人に電話して、山下棟梁の墓を調べたいと伝えていた。そして、次の本を出版するときは大野家住宅も掲載すると言って帰って
行った。 それから3年が過ぎた2022年
(令和4年)12月
、突然顕彰会から「塩飽
大工 改訂第二版」が届いた。その中に付箋をつけたページがあり、そこに大野家住宅として宇藤木の家が掲載されていた。生まれた家が本に掲載
されたことは大変うれしかった。代金を支払いたいと思い顕彰会に問い合わせたところ、掲載した取材先には一部贈呈することに
なっているので支
払いは不要と言われた。この本を母に見せたところ、母もとても喜んでくれた。そしてこの本に掲載された社寺仏閣の写真にも興味を持って、一冊
手元に起きたいと言うので追加注文した。母の父が一時期、倉敷の阿智神社の神主をしていたので、そのことも影響しているのだ
ろう。幼少期に母
に連れられて、阿智神社の社務所に祖父母を訪ねたことを思い出した。この本をきっかけに、母といろいろな昔話ができたのは、ありがたいことで
あった。 今年の6月には建て始めて150年、2025年には完成から150年
を迎え
る宇藤木の家が、有名な塩飽大工の手によるものと分かり、棟梁の居住地も判明した今回の一連の出来事は、大変心に残るものであった。
明治六年酉極月に始 明治八年亥九月作事之に 棟梁塩飽青木
浦住山下與太郎伊造 明治七戌二月廿八日建之
二〇一九年(令和元年)九月七日(土)塩飽大工顕彰会三宅邦夫さん調査
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