★ 大野家 (玉野市宇藤木)

家系図
kakeizu

● 五代主・大野健治氏の四十九日法要(2016.3.27)           大野洋平:一周忌追悼ビデオ(2017.1.22)
49nichi

先祖墓


宇藤木大野家の棟札と書籍掲載について

2023.3.15大 野敦史

宇藤木大野 家の棟札は、45年くらい前に行われた“えんだ(縁側)“、”したず ま”の改修工事の時に、天井裏の棟木の あたりから偶然発見されたと聞いている。そのころ見た棟札の文字の書いてある面は、木肌が白い印象だったと記憶している。日の当たらない天井 裏で、文字面を棟木に向けて置いてあったので、長年色が変わっていなかったのかもしれない。発見から40年 以上経った今では、文字面も黒ずんでいる。しかし、今も墨の文字は判読できる。

2019年(令和元年)71月(月)に放送されたNHKの 「鶴瓶 の家族に乾杯」は、俳優の青木崇高がゲストで、舞台は瀬戸内海の香川県塩飽諸島であった。たまたまこの放送を見ていた私は、宇藤木の棟札に 「塩飽」と書いてあったことを思い出した。すぐにスマホに撮っていた棟札の写真を見たところ、「塩飽青木浦」と書いてあった。番組の中で青木崇高さんは、塩飽諸 島の広島の青木地 区を訪ねた。青木さんは自分の苗字と同じ名前の地区を訪れたのであろう。青木地区は港のある海沿いの場所であった。この番組で見た「塩飽諸島 -広島-青木地区」が、棟札に書いてある「塩飽青木浦」と一致した。大野家の棟札に記された地名が、約150年 後に偶然見ていたテレビ番組の中で明らかにされたことに、私は大変驚いた。

この番組を 見たあと、塩飽諸 島の大工についてネットで調べてみたところ、塩飽大工の本を出している顕彰会のホームページに行きついた。その事務局に、「実家の棟札に書い てある文字をみて塩飽大工に興味を持った、塩飽大工顕彰会が出している本を購入したい」、とメールを送った。代表の三宅邦夫 さんから、「民家 で棟札が出たのはとても珍しい、家の調査に行く」、との返信が来た。後日「塩飽大工」というタイトルの書籍も届いた。

97日(土)(大野 眼科休診日)、事 前に打ち合わせていた午前10時に三宅さんが大野 眼科に来た。2人で軽四に乗り換えて 宇藤木に行った。三宅さんは、たくさんの写真を撮って、柱の太さや間隔を計測し、詳しく調査してくれた。そのあとは、母といろんな話をしてく れて盛り上がった。棟札にあった「山下與太郎」という棟梁の名前は、三宅さんが行ってきた一連の調査の中では初めて出たとの こと。その場で広 島の青木地区の知人に電話して、山下棟梁の墓を調べたいと伝えていた。そして、次の本を出版するときは大野家住宅も掲載すると言って帰って 行った。

それから3年が過ぎた2022年 (令和4年)12月  、突然顕彰会から「塩飽 大工 改訂第二版」が届いた。その中に付箋をつけたページがあり、そこに大野家住宅として宇藤木の家が掲載されていた。生まれた家が本に掲載 されたことは大変うれしかった。代金を支払いたいと思い顕彰会に問い合わせたところ、掲載した取材先には一部贈呈することに なっているので支 払いは不要と言われた。この本を母に見せたところ、母もとても喜んでくれた。そしてこの本に掲載された社寺仏閣の写真にも興味を持って、一冊 手元に起きたいと言うので追加注文した。母の父が一時期、倉敷の阿智神社の神主をしていたので、そのことも影響しているのだ ろう。幼少期に母 に連れられて、阿智神社の社務所に祖父母を訪ねたことを思い出した。この本をきっかけに、母といろいろな昔話ができたのは、ありがたいことで あった。

今年の6月には建て始めて150年、2025年には完成から150年 を迎え る宇藤木の家が、有名な塩飽大工の手によるものと分かり、棟梁の居住地も判明した今回の一連の出来事は、大変心に残るものであった。

明治六年酉極月に始 明治八年亥九月作事之に 

棟梁塩飽青木 浦住山下與太郎伊造 明治七戌二月廿八日建之 

                                                                           二〇一九年(令和元年)九月七日(土)塩飽大工顕彰会三宅邦夫さん調査