明るい正月を迎えました

2013.1.1
小西ロク

卒業50年記念

お父さんが下関の日新中学校を卒業して50年が経ちました。中学生は子供か ら大人に成長する 途中の多感な時期ですが、その後、50年間を過ごす間に結婚し、子供も育て、多くの人は既にお爺さんやお婆さんになっています。 当然のことですが、外見は大幅に変化します。それでも面影が全く失せる訳ではありません。昨年秋に50年記念の同窓会が 開かれることとなり、 お父さんは卒業アルバムの写真に名前を付ける作業を引き受けました。普段は専ら電子メールを使って連絡を取る、お父さんが変身して、電話 を沢山掛けていました。同級生の女性宅に電話したところ、家人にストーカーではないかと疑われ、ドキドキしたこともある そうです。しか し、60名を超える同期生の協力を得て、約1カ月で卒業生約550名全員の名前を確定させ、さらに、最近の同窓会写真を加えて、 50 年後の卒業アルバムを 完成させました。あまり社交的でないお父さんが多くの同級生と一緒に活動 して、アル バムを完成できたことは、同期生全体の交流を強化できただけでなく、お父さん自身の世界を拡げてくれたようです。


厳島神社の舞楽

中学校の50年記念同窓会で下関へ帰る途中、お父さん達は宮島(厳島神社)に立ち寄りました。お母さんがNHKの大河ド ラマ「平清盛」を 見ていて宮 島に行きたいと言ったからです。「平清盛」は、韓流ドラマと異なり、史実に基づいて作成されたドラマだそうで、華やかな描写 が少ないためか、高い視聴率は取れなかったそうです。しかし、お母さんは併せて歴史書も読み、このドラマを気に入ってい ました。厳島神社に着いた時、ちょうど結婚式が行わ れていて、沖の鳥居を背景とする能舞台で、出し物が演じられていました。能が終わると、花嫁・花婿さんは沖の鳥居を背景として二人の結婚 記念写真を撮り、さらに、五重塔を背景として、集合写真を撮っていました。「花嫁さんがもっと綺麗だったらなあ?」とお 父さんはお母さん に言ったそうですが、それでも「良い時に来たなあ」と幸せな気分になれたそうです。その後、宝物館へ行き、お父さんは清盛が書いた「平家 願文」を見て気に入り、分厚い「厳島神社国宝展」の書を購入しま したので、演じられていた能が「舞楽 蘭陵王」であることが分かりました。お正月を迎えるに当たり、お母さん が原画を描き、お父さんが版画を彫り・印刷して、今年の年賀状を作成しました。


奈々の活躍

奈々は優しい猫で、僕に対して一度も「シャー」と威嚇したたことはありません。僕は奈々が大好きで、お尻を舐めても奈々 は文句も言わず、 ただ、ス ウーと逃げて行くだけ です。我が家ではコタツを中心に家族が集まって本を読んだり、テレビを見た り、パソコンを使っていたりしますが、僕と奈々もコタツ・ヒータの真下で寝たり、コタツ掛けの周りで一緒に寝たりしています。我が家には 沢山の部屋があるのですが、一つ の部屋に集まり生活することで、省エネルギー運動へ協力しているとも言えます。寝る時は、奈々はお父さんの布団に入り、お父さんを速く温 め寝付きやすくしてあげていますし、僕はお母さんの布団に入ります。奈々は足が短いこともあり、上手に布団から出入りし ますが、僕は足が 長いので、お母さんの布団を持ち上げ移動・剥がすこともあり、お母さんは時々寒がる場合もあります。奈々はもう一つ大きな役割を担ってい ます:冬になると、ネズミが屋根 裏にやってきて、子供を産む準備を始めることがありますが、奈々はこれを許しません。襖をよじ登り、屋根裏を歩き回り、ネズミを監視しています。お蔭で、 最近ではネズミの 足音を一度も聞いたことがありません。


お正月

今日からお正月が始まりました。遠くで暮らしているお兄ちゃん達も戻ってきて、賑やかな毎日となりました。お兄ちゃんが 柴犬 「じゅうぞう」を連れてきたので、僕は「じゅうぞう」を子分として教育したいのですが、困ったことに、能天気な奴です。 先輩の僕に対して尊敬の念を示さず、僕のご飯を食べたり、奈々にも手を出そうとするので、僕は怒ることとなります。 家 族が急に増えたので、お母さん買い 物・料理・洗濯量も急増しましたが、それでも、お母さん は嬉しそうに頑張っています。お父さんもお正月用に畑からネギ、大根、蕪、サラダ菜、白菜等を収穫してきましたし、綺麗な羽子板を購入 し、部屋を明るくしました。 また、大晦日には、湘南で釣ってきたサバをご近所さんからいただきましたので、刺身や 竜田揚げで食べました。新鮮な魚が手に入らない時期ですから、大変美味しく感じました。


以前の日記


nenga

2013年 年賀状




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仲良しです




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お正月を彩る羽子板